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うつになったのでニート生活してみる

うつでニート中の27歳男のブログ

惰性で生きている

日記
 最近、少しうつ病の回復の兆しみたいなものが見られてきた。
 
 具体的に言うと、まず希死念慮に捉われることが少なくなってきた。以前は一日中希死念慮に捉われている日が多かったのだけど、最近は希死念慮がまったく生じない日もある。まぁ完全に消えたわけではなくて、ときどき「死にたい」と思うことはあるのだけれど。
 また、睡眠も6時間ぐらいは中途覚醒することなく眠れるようになった。健康なときは7時間半~8時間ぐらいは寝てたので、まだ寝不足気味ではあるけれど。
 
 一方で、意欲が湧かない感じが続いている。何もやる気がしなくて、ボーっとしている間に一日が終わってしまうこともある。
 希死念慮が生じることは少なくなってきたけれど、生きる意欲は湧いてこない。生きることに意味や喜びを見いだせない感じだ。
 「じゃあ何で生きてるの?」と問われれば、答えは「惰性で」だ。積極的に「生きたい」とは思わないけれど、何となく今まで生きてきたから惰性で今も生き続けている。
 
 あと、死ぬのが面倒だというのもある。
 まぁ、ただ死ぬだけならそんなに面倒ではない。ビルから飛び降りるなり、電車の前に突っ込むなりすればいい。別に死に対する恐怖もないし。
 でも、死という「結果」に対する恐怖はなくても、死という結果に至る「過程」において痛みや苦しみが伴うことには恐怖を感じる。だから、死ぬとすれば楽な死に方、つまり痛みや苦しみを伴わない死に方をネットなどで調べたり、必要な道具を買い揃えたりしないといけない。それが面倒なのだ。
 
 そういう意味では、意欲が低いからこそ私は生き延びているのかもしれない。楽な死に方を調べたり、道具を買い揃えたりする意欲すらないから生き延びているのかも。
 そうだとすると、意欲が回復しだしたときに自殺しないよう気をつけた方が良いのかもしれない。
 
 まぁとりあえず、私は今日も惰性で生き延びています。

うつ病ニートの日常

日記
 日によって多少異なるけど、最近の1日の過ごし方は次のような感じだ。
 
  9:30~11:00 起床
 11:00~12:00 朝食兼昼食
 12:00~18:30 海外ドラマをみる
                  or Twitterのタイムラインを眺める
 18:30~19:30 夕食
 19:30~21:30 海外ドラマをみる
             or Twitterのタイムラインを眺める
 21:30~22:30 風呂に入る
 22:30~ 0:00 マンガを読む
             or 何をするでもなくボーっとしている
   0:00~ 2:00 就寝
 
 「寝てる時間長ぇ!」と思った人もいるかもしれないけど、実際は早朝覚醒で一度目が覚めて、その後二度寝しようとするも寝付けずベッドの中でゴロゴロしているだけの時間が長いので、実際に寝ている時間は6時間前後だ。
 あと、最近生活が昼夜逆転しつつある。以前は23:00には寝てたのに。まぁニートなので、何時に寝て何時に起きようが特に問題は無いのだけど、うつ病を治すには生活リズムを守ることが大切だともいう。
 もうちょっと寝る時間を早くした方がいいのかもしれない。

人の命の重さが平等だとは思えない

その他
 私は人の命の重さが平等だとは思えない。
 これはたぶん私だけではなく、多くの人がそうなんじゃないだろうか。
 だって、見知らぬ赤の他人が事故か何かで10人死んだというニュースを聞いてもそんなに悲しいとは思わないけど、身近な人が1人死んだら悲しいと思う。
 
 たぶん、人の命の重さは相対的なものだ。
 ある誰かの命の重さは、本人やその身近の人にとっては重いものでも、見知らぬ誰かにとっては割とどうでもいいぐらいの軽さだ(まぁ、私はうつ病のせいか、自分の命を軽んじているけど)。
 
 ただ、人の命の重さを平等だと考えることは、社会の秩序を守るうえで必要なことだとは思う。
 平等だとは思えないけど、それは社会の秩序を守るうえで必要なこと。だから、法で人権を保証したりする必要があるのだと思う。国や地域によっては、宗教がその役割を果たすこともあるだろう。
 
 人の命の重さを平等だと考えるのは難しい。でも、人がある程度の大きさの社会を持ったとき、命の重さを平等だと考える必要性が生じたために、宗教や法ができたんじゃないだろうか。
 
 まぁ、私は歴史に疎いので、実際のところどうなのかは知らないけどね。
 詳しい人がいたら教えてください。

個人の努力でどうにか出来ることなんて高が知れてる

その他
 人生において、個人の努力が不要とまでは思わないけれど、大抵のことは運で決まるんじゃないかと思う。
 例えば、生まれた環境とか。
 
 私の場合、生まれたときの環境はそこまで悪くなかったと思うけど、私が小学2年のころにある出来事がきっかけで両親の仲が悪くなり、それは現在進行形で続いている。
 また、学校ではいじめを受けていた。もしかしたら、私自身にいじめを受けやすいような原因があったのかもしれないけれど、だからといっていじめが正当化されるわけじゃないし、個人の努力でいじめをやめさせることが出来たとも思えない。
 こういった環境の要因は、大人になった今では別の環境に移ることもできるだろうけど、子供には難しいことだろう。したがって、幼少期の環境は結局は運で決まると言える。
 幼少期に当たり前に人から愛されて育つことのできた人はいいだろうけど、そうでなかった人はやっぱりコミュニケーション能力に欠けるとか、他人を信頼できない人間になりやすいと思う。
 
 また、大人になってもブラック企業に入ってしまったら、なかなか辞めることは難しいかもしれない。入社してから短期間で退職したことはマイナス評価を受けやすいし、そうなると再就職も難しくなるからだ。
 個人的には、ブラック企業なんてさっさと辞める方が良いと考えているから、入社して短期間で退職することがマイナス評価されることには納得がいかないのだけれど、実際マイナス評価されてしまうことは確かだし、それは個人の努力でどうにかできることではないだろう。
 こういった社会的な要因も、個人の努力ではどうすることもできなくて、結局は運によるものだと思う。
 
 しかし、日本の社会では何でもかんでも個人の努力や性格のせいにされがちな気がする。
 例えば、上で述べた短期間で退職したことがマイナス評価されるのは、根性が無いなどと判断されるからだろう。
 でも、ブラック企業の労働環境を個人の努力でどうにかすることは難しいのだから、それを根性が無いと判断されるのは納得がいかない。むしろ、賢明な判断だと思う。
 
 個人的には、もう少し「個人の努力でどうにか出来ることなんて高が知れてるよね」といった認識が日本の社会に広がれば、少しは生きやすくなるのではないかと思う。

今日も今日とて「24」を観る

日記
 最近は一日中、海外ドラマの「24」を観て過ごしている。
 シーズン1から見始めて、今シーズン2を見ているところだ。
 
 フィクションの世界に集中している間は希死念慮(自殺したい気持ち)が起こらないから助かる。
 何もしていないときは、どうしても「死んで楽になりたい」といったネガティブな考えが頭の中でぐるぐる回っている感じになる。
 
 対症療法でしかないだろうけど、とりあえず希死念慮をしのぐ手段を手に入れたのは大きい。
 これで、もうしばらくは生き延びられるだろう。
 
 この方法で希死念慮をしのいでる間に、希死念慮も含めたうつ病の症状が少しでも良くなるといいのだけど…。