うつになったのでニート生活してみる

うつでニート中の27歳男のブログ

生きることに価値を見いだせない

 昨日の記事でも述べたように、ニート生活も経済的に限界が迫ってきて、次にどう進もうか悩んでいるのだけど、考えれば考えるほど生きることに価値が見いだせなくなっている。

 今までも生きてきてしんどい思いばかりしてきたし、これからもそれが続くのかと思うと、どうしてそこまでして生きなければならないのか疑問に思えてくる。
 いや、そもそも「生きなければならない」という前提がおかしいのではないか。
 そういえば、ネット上のどこかで「生きる権利はあっても、生きる義務はない」という言葉を見たことがあるけど、本当にその通りだと思う。

 ただ問題なのは、生きる義務がないとしても、生から逃れること、すなわち自殺することはそんなに簡単ではないということだ。
 いや、厳密に言えば自殺するのは簡単だろうけど、そこに苦しみが伴わないような死に方は難しいだろう。
 私は死に対する恐怖はまったく無いのだけれど、死という結果に至る過程に苦痛が伴うことには恐怖を感じる。

 何か楽に死ねる方法はないだろうか…、昨日の夜中あたりからそんなことばかり考えてしまっている。

まずは一歩、でもどの方向に踏み出せばいいのか

 この半年ほどニートでいたけれど、それもそろそろ終わりが見えてきた。
 貯金も尽きてきたし、そろそろ一歩前に進む頃合だろう。

 だが、はたしてどの方向に一歩踏み出せばいいのか、それが分からない。

 私は大学生(心理学部)でうつ病のため休学中の身だ。
 もともとは秋(9月~)に復学するつもりで治療を進めてきた。

 でも、9月が近づくにつれて本当にそれで良いのかと迷っている自分がいる。
 具体的には、復学するか就職するかの間で迷っている。
 あるいは第3の選択肢があったりするのだろうか。

 私がこの年齢になって大学で心理学を学びたいと思った理由はいくつかあるのだけれど、一番の理由は自分が今まで精神的な問題を色々抱えてきて、それは現在進行形のもので、それらをどうにかしたいという思いがあったからだ。

 ただ、自分の精神的な問題を解決したいのであれば、大学で心理学を学ぶのではなく、精神科や心療内科で治療を受けるのが正しい選択だった気がしてならない。
 実際、うつ病になってクリニックに通い始めてから、自分の精神的な問題はいくらかマシになってきた(解決とまではいかないけれど)。
 このまま治療を進めていけば、自分の問題は解決に向かってゆく気がする。

 でも、そうなると私が大学でこれ以上心理学を学ぶ理由があるのだろうか?
 そういう疑問がここ数日、頭から離れない。

 次の一歩をどの方向に踏み出すべきか。答えはすぐには出せそうにない。

平穏な日々

 ここ数日、気分が安定していて平穏な日々を送れている。
 調子が良いか悪いかで言えば悪いのだけれど、「やや悪い」ぐらいで済んでいる。

 最近、医師と相談しながら薬の量の微調整を繰り返していたのだけれど、ようやく最適解が見つかった感じだ。

 あと、最近は読書が出来るようになったのも大きいと思う。
 うつ病になってから長い間、文章を目で追っていてもなかなか内容が頭に入ってこない感じが続いていたのだけれど、最近になって少しずつ文章が読めるようになってきた。
 うつ病になる前から、私にとって一番心が落ち着くのは本を読んでフィクションの世界に浸っている時間だったから、読書が出来るようになってきたのは大きい。
 ただ、あまり長時間続けて読んでいるとひどく疲れるので、まだ読書の時間は短時間に留めているのだけれど、この調子で少しずつ本を読める時間を延ばしていきたい。

 まだ未来(さき)のことは考えられない状態だけど、とりあえず今はこの平穏な日々を維持していきたいと思っている。

社会生活そのものがストレス

 私は現在ニートで、社会生活から離れた生活をおくっている。
 それで、医者はうつ病の治療目標として「社会生活への復帰」を掲げている。

 まぁ、人は生きていくうえで人と関わることからは逃れられないと思うし、それは至極まっとうな治療目標だとは理解できる。

 ただ、私にとっては社会生活がストレスの原因でしかないのだ。
 もちろん、誰だって社会生活において、つまり人と関わる中で、多かれ少なかれストレスを抱えながら生きているのだと思うけど、一般の人は社会生活の中に喜びや楽しさも感じているのだと思う。
 けど、私にはそういうものが一切ない。社会生活がただただストレスの原因でしかない。

 私が一番心が落ち着くのは、本でも読んでフィクションの世界に入り浸っている時だ。一生、本を読むだけで生きていけたらどんなにいいかと思う。
 だけど、現実にはそうはいかない。生きていくうえで人と関わることは不可欠だ。

 私みたいな人間が生きていくには、あるいは社会生活の中に喜びを見出すには、どうすればいいのだろうか・・・。
 それが今の私の最大の悩みの種だ。

 もし、この問題の解決のヒントになりそうなことがあれば誰か教えてほしい。

誰かのために死にたい

 どうもお久しぶりです。

 最近、生きるのに飽きてきた感じで、ブログを更新する気力も湧かなくて更新を怠っておりました。
 まぁ最初からマイペースで更新するつもりだったのですが、さすがにだいぶ期間が空いてしまいましたね。

 

 で、いきなりタイトルから病んでる感が出ているわけですが…。
 まぁ、冒頭でも述べたように、最近ほんとに生きることに飽きてきたんですよね。
 別に今死んでも自分の人生に悔いはないですし。

 

 ただ、それでも今死なずに生きているのは、たぶん私は誰かのために死にたいからなんじゃないかなぁと最近思うわけです。
 ただ自殺するだけなら簡単(?)ですが、それだと何の意味もありませんし、社会的にも批判されたり、バカだなぁと思われるだけでしょう。

 

 でも、自分が死ぬことが誰かのためになるのなら。
 例えば、車に轢かれそうになった人を庇って死ねたなら。
 あるいは、自殺した後に臓器を必要とする人に移植してくれたなら。

 誰かのために死ねるなら、それはきっと幸せなことだろう。

 …まぁ、自分の死にそれらしい理由を付けたいという自分勝手なわがままでしかないですけど。

 そんなことを考えながら、私は今もしぶとく生き続けております。